四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編

 後半第 19

プレ「後半」(四)の1


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第290 ―論文編 後半19号

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           原則週1回 配信 2025年02月26日(水)


 『空海マオの青春』論文編 後半 第19号
  「『空海論』前半のまとめ(三)の6」修正 → 「前半のまとめ(四)の1」

 前節において空海マオが南都仏教を飛び出して山岳修験道に進んだけれど、道教・神仙思想に失望して再び仏教に戻る――ところまでをたどりました。

 空海論前半では、この後「仏教回帰」として第31節〜38節まで8節にわたって『三教指帰』の仏教編を眺めています。空海は簡潔に、端的に、とてもきれいに仏教のイロハをまとめています。
 これまた全て再配信したいところながら、さすがに仏教無関心の人にとっては忍耐が必要であり、頓挫すること間違いなし(「頓挫」読めなければ検索を)。

 ただ、その中で私が時折発した疑問・感想のいくつかを(かなり根本的なことと思われるので)ここに掲載しておきます。
 いずれ後半に突入したとき、振り返って考察するので、事前準備としてみなさんもちょこっと考えてみてください。

仏教はどうして今を生きる人は「救えない」と公言する宗教なのか

2 仏教は殺生を禁じ、「うそをつくな」など十戒を説く。なぜ人にとって不可能なことばかり「するな」というのか。

3 人間が死後生まれ変わるところは地獄、餓鬼、阿修羅など六つある。その一つ「天界」は一見極楽のようなところ。だが、そこは「極楽」ではない。なぜか。

4 もしも地獄・極楽が存在するなら、生き物を殺して生きる人間は死後地獄に堕ちるに違いない。果たして極楽に行けるのだろうか。

自分が良いと思ったものを人に勧めないのは悪いことか

 1は少々の説明を。
 多くの旧宗教、新興宗教が「我が宗教、我が教祖を信仰すれば、あなたはきっと救われる」と説きます。だが、仏教だけは「あなたは救われません」と言う、かなり珍しい宗教です。
「えっどうして。どこからそんなことが言えるの?」とつぶやかれた方のために……

 仏教の創始者釈迦は自ら悟りを開き、苦しむ衆生を救うという決意をもって布教し、八十余年の人生を全うしました。その教えは弟子の弥勒菩薩が引き継ぐようにと遺言を残します。
 ちなみに「菩薩」とは悟りを開いているけれど、仏になる前の存在という意味。観音菩薩や地蔵菩薩が有名。人間だからもちろん死にます。釈迦が亡くなったように、多くの菩薩もすでにこの世にはいない。
 そして、弥勒菩薩は釈迦入滅の56億7千万年後、仏として生まれ変わって人を救うと仏典にあります。

 ――ということは現在生きている人も、これから生まれる赤ん坊も、ほぼ永遠に「救われない」と言われているようなものです(^.^)。
 56億年後人類は絶滅しているかもしれず、地球も太陽だって燃え尽きてなくなっているかもしれないのですから。

 なぜ人は救われないのか。このわけが2にあります。
 ただちに「えっ、どーいうこと?」とつぶやいた人はちょっと考えてください(解説は後記に)。

 3の「天界」については第32節を。
 5 自分が良いと思ったものを人に勧めないのは悪いことか――について「これって仏教にカンケーある?」とつぶやいた方は第37節「仏教回帰」その7をご覧ください。

 なお、今節は前半のまとめその6「一度目の太龍山百万遍修行」について語る予定でしたが、一つ「仏教広布の悩み」をはさみます。
 百万遍修行の前に空海マオが抱いた悩みについてもっと深めておくべきだと感じたからです。
 もう一つ次節も「百万遍修行と年月確定」と題して追加挿入します。
 よって、678は「まとめ(四)」345となります。

 『空海論』前半のまとめ(三)

 1 仏教入門後の大まかな流れと九つの謎           1月22日
 2 南都仏教――僧侶個人への失望              1月29日
 3 学問仏教、大寺院の経済活動への異和感          2月05日
 4 山岳修験道進出、道教発見                2月12日
 5 神仙思想への失望から仏教回帰、『聾瞽指帰』執筆     2月19日

 『空海論』前半のまとめ(四) その1
 1 仏教広布の悩み                     2月26日――本節
 2 百万遍修行と年月確定
 3 新しい仏教を求めて一度目の求聞持法百万遍修行
 4 室戸岬にて二度目の百万遍修行、改題『三教指帰』公開
 5 二度の百万遍修行を経て体得した《全肯定》の萌芽について


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 本号の難読漢字
・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・『三教指帰』(さんごうしいき)・衆生(しゅじょう)・行脚(あんぎゃ)・六道輪廻(りくどうりんね)・八正道(はっしょうどう)・宗旨替(しゅうしが)え・敬虔(けいけん)・求聞持(ぐもんじ)法・沙門(しゃもん)・陀羅尼(だらに、呪文)
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***************** 空海マオの青春論文編 後半 ******************

 後半第19号 プレ「後半」(四) その1 

 仏教広布の悩み


 空海マオの大学寮入学から、『三教指帰』を完成させた二十三歳末までを見ると、失意・失望と転進が幾度も繰り返されたことに気がつきます。

 空海の場合、まず儒教から入っています。幼少期から儒教道徳にどっぷり浸かって育てられました。すなわち空海の根底には儒教があります。仁義忠孝を信条として官僚か学者、うまくいけば天皇側近の政治家を目指して大学寮に入学したのです。

 しかし、いかに能力があっても、田舎郡司のせがれでしかない彼に望むような将来は訪れない。マオは進路に絶望し生活は乱れ、結局退学を決意する。そして、叔父大足の勧めに応じて仏教に進路変更する。乱れた仏教界を正し、新しい仏教を創始しようとの思いを抱いて。
 その後一心に仏典を研究して一つの結論とも言うべき原「聾瞽指帰」(儒教と仏教を対比する草稿)を完成させた。

 その仏教編に「仏教は国を護(まも)る」という国家護持は書かれず、論疏(ろんしょ)を研究する南都仏教の「これぞ仏教」論も取り入れなかった。ただひたすら仏教の基本(イロハ)だけをまとめた。

 今まで触れませんでしたが、この「書かなかった」ことが国家仏教、南都仏教への批判であり、両者に目指す《新仏教》は見出せない――それをほのめかしているとも言えます。

 だが、この段階ではまだ儒教を否定できない。もちろん新しい仏教を仏典から見いだすこともできない。そこで山岳修行(修験道)に進む。そこで得られたのが自由と無為自然の道教。それによってようやく儒教を否定できた。

 そのまま道教に進むこともあり得たけれど、道教と仏教を比べるなら仏教の方がより素晴らしい。そこで儒教、道教を経て仏教に到達したとの趣旨で『聾瞽指帰』を完成させた。

 では、空海マオは諸国を行脚して大衆に「仏教は儒教・道教より優れている。仏教とはかくかく、六道輪廻とはしかじか。地獄や極楽はこういうところです。極楽を目指し、十善戒を守って八正道の正しい生き方を実践しましょう」と訴えたか。それはうまくいったか。

 マオは『聾瞽指帰』の中で、仏教僧――とは言え身なりぼろぼろの乞食坊主のような――仮名乞児に仏説を語らせます。そして、聴聞後蛭牙公子、兎角公、儒教亀毛先生、道教虚亡隠士らの様子を描いています。

 彼らは歓喜して「仏教とはなんと素晴らしい教えであるか」とひれ伏し、「今後は仏教を悟りの世界に向かう船とも車ともして生きたい」と誓う
 儒教・道教信奉者の亀毛、虚亡両氏は「周公・孔子の儒教や老子・荘子の道教などは、なんと一面的で浅薄なものか」と言って仏教への宗旨替えを宣言する。
 マオが仏教を説いた時、現実の人々はこのような反応を見せてくれたか……と問われるなら、私の答えは「とても疑わしい」です(^_^;)。

 日本に仏教が入ってすでに三百年近く経過しています。当初は外来思想・宗教として排斥の動きがあったけれど、結局、天皇(朝廷)は「日本を統治するには仏教こそ最適」として人民に勧めました。国分寺・国分尼寺が全国につくられ、総国分寺の東大寺には巨大な仏像まで建造されました。
 空海マオが幼児の頃、人々に「立っているときも座っている時も歩いている時も、般若心経を暗唱しなさい」と布告されています。

 もしもマオが『聾瞽指帰』を手にして朝廷のお偉方に「私の本を読んでください。仏教の素晴らしさをうたい、人々に仏教を勧めています」と言ったら、どんな反応が返ってくるか。

 朝廷は「そんなことはわかっとる」と答えたでしょう。勅令の最終責任者である桓武天皇も当然そうおっしゃる。「朕は仏教の素晴らしさをよく知っておる。我々は人々に仏教を勧め、国家安寧を願っておるんじゃ」と。

 上がそのような状況であるなら、下はどうか。こちらも「そんな話はよく知っとる」と言われたのではないかと想像します。
 もちろん仏教を信仰し、在家信者として慎み深く、敬虔に生きている人たちは多かったと思います(「敬虔」意味不明なら検索を)。
その人たちに仏教の素晴らしさを訴えれば、「よくわかっています。私も仏教を信仰しています」と答えたでしょう。

 しかし、問題は「仏教なんぞいらない、地獄はない」と言うやから(?)です。
「極楽を目指して正しい生き方を」と勧めても、「これまでさんざん悪いことをやって来た。どうせ地獄に堕ちるに違いない」と言って反省しない、改めようとしない人間です。

 生き物を殺さず生きることはできない、うそをつかずに生きることは不可能だ。「死んだらどうせ地獄に堕ちるんだから、何やったっていい。自分が生き残るためには人を殺していい。気持ちいいから人を傷つけたって構わない。そもそも地獄があると証明されていないじゃないか」とうそぶく(一部の?)人々です。
 この言い方、もちろん現在の犯罪者、セクハラ・パワハラ、虐待・いじめ、誹謗中傷の傲慢な人たちを意識しています(^_^;)。

 空海は彼らを説得できたでしょうか。仮に布教活動を始めたとすれば、彼は日々試しにかけられ、相手を論破、説得できない苛立たしさを感じたのではないかと思います。

 『聾瞽指帰』仏教編には仮名乞児ことマオが親戚から「儒教に戻れ」と言われ、言い負けた話が出ています。その後相手に手紙を書くけれど、「この手紙はまだ自分の心を充分述べ尽くしていません。後日改めて説明したいと思います」とあるように、仏教をうまく説明できない、相手を説得できないと感じている。そして「大たわけの私はこれからどのように生きたらよいのか。ただ途方に暮れ、ため息をつくばかり」と嘆いています。

 結局、『聾瞽指帰』を書き上げたとき、空海マオは感じたはずです。仏教はいまだ自分のものになっていない。何かが足りない。真に自分のものとするには何かが足りない。さらに、新しい仏教を提示できなければ、上も下も変わることはない。自分はまだ新しい仏教を獲得できていないと。

 そのとき思い出されたのが修験道修行の最中(さなか)見かけた「求聞持法百万遍修行」ではなかったか、と私は推理します。
 名も知らぬ沙門が行っていた百万遍修行。それは仏教の名で行われている山岳修行だった。
 深夜から未明の戸外、晴れ渡った夜空に浮かぶダイヤモンドのような明けの明星を見ながら、ただ一つの陀羅尼(呪文)を一日一万回となえる。

 ノウボウ、アキャシャーギャラバヤ、オンアリキャーマリボリソワカー…
 ノウボウ、アキャシャーギャラバヤ、オンアリキャーマリボリソワカー…
 ノウボウ、アキャシャーギャラバヤ、オンアリキャーマリボリソワカー…

 百万遍修行は空海が読んだ仏典のどこにも書かれていない。しかし、修験道・道教の修行とは違う。理屈は何もわからない。そんなことをやって何か得られるものがあるのか、それもわからない。
 しかし、もしかしたら体験してみれば、何かを感得できるかもしれない……そう考えて「百万遍修行をやってみよう」と決意したのではないかと思われます。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前置きの課題について。
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1 仏教はどうして今を生きる人は「救えない」と公言する宗教なのか。
2 仏教は殺生を禁じ、「うそをつくな」など十戒を説く。なぜ人にとって不可能なことを「するな」というのか。
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 人は生きる限り何かを食べなければならない。食べ物の中には動物の肉、魚介類の肉が入っている。よって、殺生せざるを得ない。では菜食主義者は?
 彼らだって食べているのは「生きている」野菜や山菜・海藻。腐って死んだ野菜ではない。また、「私は牛豚鶏などを殺したことはありません」と言ったとしても、依頼して(お金を使って)殺してくれた肉を得て食べている。
 よって、殺生禁を守って生きることは不可能。「私はこれまでうそをついたことはありません」と言うのが最大のうそ。これまたうそをつかずに生きることもあり得ない。

 ゆえに、人は生きている限り救われることはない――につながります。
 仏教はこれを「56億7千万年後に救われる=人はほぼ永遠に救われない」と公言しているのです。

 もしもこれを読んで、暗澹たる気持ちにとらわれ、絶望を感じたなら、拙著『空海マオの青春』小説編か、これから語る『論文編』後半をじっくりお読みください。
 別にCМでもPRでもありません。私のホームページやブログにCМはなく(むしろ使用料を払っている)、メルマガのCМは私に無関係。ゆえに金銭的利益はちっともありませんので(^_^;)。

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