本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編後半です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。
空海が到達した境地は《全肯定》と呼ばれます。これは良いことだけでなく、悪いこといやなこと全てを許し受け入れるという意味です。彼はどうやってその境地に達したのか。論文編後半はその核心に迫る……予定です(^_^;)。
空海論後半トップ号なのに、「なんじゃこりゃ」の表題ですね(^_^;)。
詳細は本論において追々述べることにして先月ちょいとネットを騒がせた「伏線」についてまず語っておきます。某局朝ドラ『ばけばけ』の話題です。
ただ、朝ドラを見ない人にとってはやはり「なんのこっちゃ」かも。
私もときどき見る派(と言うかたまにしか見ない派)なので、最初「はて?」でした。
朝ドラ『ばけばけ』は明治末期日本に来たラフカディオ・ハーン(後帰化して「小泉八雲」)と妻「節」さんの物語です。
現代では「雪女」や「耳なし芳一」の『怪談』が有名ですが、来日当初は当時の日本を海外に紹介する紀行文作家であり、冬がチョー寒い松江では英語教師でした。
今年3月11日(通算113)放映回においてあることが話題になりました。
ヒロイン「トキ」と「レフカダヘブン」が結婚してヘブンは日本に帰化することになり、二人の名字が「雨清水」になるという内容。ヘブンは「雨清水八雲」、トキは「雨清水トキ」に。
これが「壮大な伏線」として視聴者の驚きを呼んだというのです。
SNSでは「お見事!」「めちゃくちゃ面白い〜」「これぞばけばけ!」「ばけばけらしい伏線」「全く気付かなかったよ〜」などの声が寄せられたそうです。
これ「雨清水」を「あめしみず」と読んでは意味不明。「ばけばけ」を最初から見ている人は「うしみず」と読みます。ドラマでトキさんは旧姓「松野」、すなわち「松野トキ」から「うしみずトキ」に変わる(と言うか養女だった「雨清水」に戻る)。なので「うしみずトキ→《うしみつどき》」というわけです。
詳細は[ばけばけ・雨清水・伏線]で検索してください。
この話題を本稿に取り上げたわけはもちろん「伏線」からですが、以前「伏線は一読法で読んでいれば最初からわかる」と書いた好例として「面白い」と思いました。
物語の冒頭ヒロインが登場したとき「雨清水なのに『うしみずトキ』と言うんだ。妙な読み方だなあ」とつぶやいていれば、「何かの伏線かあ?」と予想できる。
最初の方にヒロインが(呪いの藁人形で有名な)丑三つ時にお参りをする場面もあったそうです。であれば「いつかまた丑三つどきの話が出るかも」と推理できる(かもしれません)。
というわけで、本号前置きに取り上げた次第です。
「なるほど、それで今回の〈伏線〉とつながるわけか…
…では〈AI批評〉の方は?」
当然出てしかるべき疑問。
もしもうっすらぼんやりと記憶に残っているなら、
「確か2月のメルマガでAI検索のこと書いていたな。あれか?」とつぶやいてほしいところ。
いずれにせよ「AIのことを空海論後半のトップに持って来たわけは?
さっぱりわかんねえぞ」とお怒りになるはさらにごもっとも。
まー読めばわかります(^.^)。
が、いつもの「ぼくの悪い癖」。
長くなったので、今号は「伏線」のみ。AIの件は次号に回します。
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本号の難読漢字
・善哉(ぜんざい)・青龍(せいりゅう)寺住職「恵果(けいか)」・曼荼羅(まんだら)・投華得仏(とうげとくぶつ)・胎蔵(たいぞう)界・金剛(こんごう)界・大好(たいこう、善哉と同意)
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*********************** 空海マオの青春論文編 *********************************
「伏線とAI批評」その1
繰り返しになるけれど、早速一読法の「題名読み」――とにかくとんでもない表題です(^_^;)。
空海論「後半」のスタートなのに、「伏線とAI批評」だなんて。
伏線はまーいい、しかし「AI批評」とは「なんのこっちゃ」とつぶやきたくなる。
ここで立ち止まって国語力高い読者なら「批評」を検討するでしょう。
高校の一読法授業なら、ネット検索して意味を確認します。
たとえば、ウィキペディアに「批評とは、ある事物の是非・善悪・美醜などを指摘して、その価値を判断し、論じることをいう」とあります。
国文学の世界では「文芸批評」などとして文学作品の良し悪し、長所短所など作品の価値をあれこれ論じることで有名。
となると「AI批評」とはAIが何か、誰かの作品を批評、批判すること――と読み取れる。
フツーの読者でもこれくらいは題名読みができます。
しかし、我がメルマガ読者は一読法を学んでいる(^.^)。
もう少し推理の世界に進めるし、進んでほしい。
もしも「AI批評」なる言葉が「誰かの作品を批評する」という意味なら、
「誰かって誰や?」とつぶやき、答えを考えることです。
ここで勘のいい人は「もしかしたら誰かって御影祐のことか?」と思いつくかもしれません。
いい流れですよ。「根拠は?」と聞かれてさすがに「なんとなく…」で構わないけれど、昨年後半以降のメルマガを思い浮かべて根拠を言えるようなら、一読法3段昇進です(^_^)。
この答えは次号として(前置きで書いたように)2月の配信号を思い出してもらうべく、1月末以降3月までのメルマガと表題を全て列挙します。
計8編(も?)発行しました。
まず1月28日〜2月11日までは「久保はてな」作品集に関する記述。
【A】とします。
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第18号 01月28日 「前号の補足と復習……謎解き編(^_^;)」
……「あらすじ作成に苦労した理由とたまたま解決した」ことを語ります。
第19号 02月02日 最終回「Y高文芸部久保はてなから御影祐へ」その1
〇 狂短歌「いろいろと人生悩み多かれど □□こそが手助けとなる」(漢字2文字)
第20号 02月06日 最終回「Y高文芸部久保はてなから御影祐へ」その2
〇 狂短歌「人生の終わりを意識するならば 昔を語るも「善哉善哉」(^_^)」
第21号 02月11日 付録「伏線、復習と補足」
〇 狂短歌「伏線を初読で指摘できるのは □□□で読んでいるから(^.^)[漢字3文字]」
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ここで「おやあ19号からは狂短歌が出ていたんだな」とつぶやけます。
また、「□□…の答えは何だったかなあ」ともつぶやける。
21号の□3文字は前置きにあった。[一読法]だな。
しかし「19号の□□は思い出せねえなあ……」(^.^)。
も一つ「伏線について結構書いていたんだ」とも。
18号には「執筆の悩みが杉下右京『相棒』によって解決できた話があったな」くらい思い出したいところ。
そして、第21号付録後記にあったのが以下の部分。
さすがにこれは思い出せないでしょう……
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もう一つ。2月になってもっと驚くべき「たまたま」がありました。
それは思いもしない、この上なく嬉しい、比類なき最上級のたまたまでした。
別に競馬で特大万馬券が当たったわけではありません(^.^)。
AIに関係した偶然であり、精神的なことです。
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ここに「AIに関係した偶然」が出ていた。
が、具体的なことは何も書かれていません。
そして、メルマガはこの後2週間の休みをはさんで「狂短歌ジンセー論」に移ります。
エッセーは2月25日から3月25日まで計4回続きました。
【B】とします。
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第276号 02月25日 「2026年第51回総選挙、本来の議席数」
〇 狂短歌 ぎゅうらしゅう騒ぎ立てるほどもなし 絶対多数は砂上の楼閣(^.^)
第277号 03月04日 「2026年総選挙〜前号の復習と新たな伏線」
〇 狂短歌 やらかした打ちミス 豆腐共栄圏 AI真面目に答えてくれた
第278号 03月13日 「世界が大変なら、我が周辺も……」
〇 狂短歌 突然にいとこを襲う脳梗塞 ラッキー続くも三度目破綻
第279号 03月25日 「偶然を伏線と見なす」
〇 狂短歌 偶然を伏線と見て 自らの生き方 少し変えてみようか
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どうです。気づきましたね。
直ちにつぶやいていい発見が2ヶ所。
「3月4日、277号に《AI》があるじゃないか!」
「3月25日には『偶然を伏線と見て』とある。
そうか。2月2日の□□(漢字2文字)は《偶然》か!」
ここでもせめてこれくらいは気づいてほしい。
次に【A】【B】の*********内を上からスクールしてさっと眺めてください。
すると、ある特徴に気づくはず。
[以下見直すための空白]
↓
↓
↓
↓
↓
↓
つぶやいていい言葉が以下。
「久保はてな作品集の19号から21号には狂短歌がある。
そうか。AはBの伏線だったのか!」と。正解(^_^)。
久保はてな作品集に関する記述は別に狂短歌をつける必要はありません。
ラスト3号は次の『狂短歌ジンセー論』への伏線であり、『空海論』後半につながる内容でもあったのです。
[ここで狂短歌冒頭の[〇]が目に入らないようでは「あんたの目は節穴か」と言いたくなります(^.^)。]
要するにこういうことです。
2月から3月にかけて配信した8回のメルマガは空海論後半の伏線になっている。
執筆裏話で言うと、私はそれを意識して8回のメルマガを書いたということです。
具体的には20号が最もわかりやすい。
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第20号 02月06日 最終回「Y高文芸部久保はてなから御影祐へ」その2
〇 狂短歌「人生の終わりを意識するならば 昔を語るも「善哉善哉」(^_^)」
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この本論に以下の記述がありました。
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これにて「久保はてな作品集」を終了。
2月3月は休刊して4月より『空海論』後半を開始します。
ところで、善哉(ぜんざい)は小見出しに書いた通り「善きかな」という意味。またも「空海マオの青春」読者への罠となる伏線です。
気づきましたか。
これは空海が入唐後師事した青龍寺住職「恵果」がよく使った言葉です。
4月以降のメルマガ『空海論』後編は「空海マオの青春」読者以外には「つまらない、興味関心のない」読み物かもしれません。
そこで「読んでみようか」との気持ちをかきたてるため、「なぜ空海を研究して小説化し、さらに論文まで書いているのか」その理由を書きたいと思います。
それは前2号にて書いた「偶然の出来事から悩みの答えを得る」――この生き方を空海に見出したからであり、私自身もそれを体験したからです。
私は大学入学後すぐ学生運動に飛び込み、その渦中で挫折を体験しました。1年後期は4畳半一間の屋根裏部屋に閉じこもる「引きこもり」生活も送った。そのトラウマもあって2年のころは自殺願望にとりつかれました。しかし、臆病な人間だったので決行できなかった。
その後ある程度立ち直って高校教員になったけれど、先生業に自信なく、小説家になりたいとの夢も実現できそうになく、かといって奥さん子どもを得てフツーの人生を歩むこともできそうになかった。
そのころ悩みの答えを偶然の出来事から見出せると知り、Y高文芸部で実践し体験できた。この下地の上に空海がいました。
空海には最も有名な逸話があります。
入唐後ある儀式で空海は諸仏が描かれた曼荼羅図に目隠しをして花一輪を投げる。落ちたところの仏が投げた人の有縁(うえん)となる。守り神のような感じです。
この儀式を「投華得仏(とうげとくぶつ)」と言い、通常胎蔵界、翌月金剛界と二度行われます。
空海は一度目の投華で密教最高位の大日如来に当たった。周僧は驚き、恵果和尚も「不可思議、不可思議」と言った。
これだけでも驚きなのに、空海は二度目の投華得仏でまたも大日如来の上に花を落とした(目隠しをして)。恵果も周僧もさらに目を見張った。
この恵果和尚と空海が初めて会って入門を許したときの言葉が「大好、大好(大いに良し、大いに良し)」であり、もう一つの口癖(?)が「善哉、善哉」でした。
この逸話を知ったのは退職前後だと思います。
その後調べて空海には多くの偶然があり、それによって悩みを解決し、夢に向かって突き進む人生だったことを確認できました。
これはもう書くしかない(^_^)。
何より「失意と絶望に沈んでいた自分の二十代にこの生き方を教えたい」
――そう思って空海伝を書いた次第です。
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いかがです。小説空海、そして空海論の執筆動機が書かれているではありませんか。
最初に「2月3月は休刊して4月より『空海論』後半を開始」とあります。
しかし、この言葉を直ちに裏切って3月末まで計6回もメルマガを配信した。
全て空海論後半をほのめかす伏線のつもりでした。
ちょっとかっこいいことを言うなら、論文は所詮理屈。それも昔の偉人やその言葉であり、過去の出来事について語ることが多い。「現代を生きる自分にゃカンケーない」と思いがち。
いえいえ、今を生きて四苦八苦を感じているあなた、人間関係に煩悶し、進むか退くか、右に行くか左に流れるか、さまざまもろもろ悩むあなたに「大いに関係あるんです」と言いたくてこれらメルマガを書き連ねました。
また、この中にはまるで私自身に対して「予知・予言とも言える伏線だったか」と振り返る記述もありました。
2月2日の「□□(偶然)こそが手助けとなる」、2月6日の「人生の終わりを意識する……」。
前者は1月初め「久保はてな作品集」の執筆に悩んでいた時「たまたま『相棒』を見て悩みが解決できた」ことを書いています。実はもう一つ発生していた偶然が「AI批評」なのです。
そして、後者の「人生の終わりを意識する」は一般的な言葉であって正直自分を意識する気持ちは少なかった。
ところが、3月に入って突然いとこが脳梗塞で入院した。故郷では唯一と言っていいくらい日常的に付き合う人でした。
亡くなることはなかったけれど、半身不随となって左手が使えなくなった。
さすがに「自分にそれが起こったら」と感じざるを得ない。
生活習慣病を持つ自分に起こらない保証はない。そこで「○ 偶然を 伏線と見て 自らの生き方 少し変えてみようか」と思って競馬予想を半減し、今年中に「空海論」後半を完成させようと決めました。
私にとってこの数か月は全て偶然ながら、空海論後半に至る伏線がいたるところに散りばめられていた。だからこそ、2、3月を休刊にしないでメルマガに書いたわけです。
以上、空海論後半につながる「伏線」についてまとめました。
長くなったので「AI批評」については次号。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:読み終えて「なるほど」と感じつつ、以下のような(批判的)疑問をつぶやいた方がいらっしゃるかもしれません。
「2、3月のメルマガは空海論後半につながる伏線として書かれた」とあるが、2月25日の第276号「2026年第51回総選挙、本来の議席数」は「空海につながる伏線と言えるだろうか」と。
いいつぶやきです。「あれは単に自民圧勝に終わった選挙について書かれただけではないか。空海論と関係あるように思えない」と。
大好、大好(^_^)。鋭い指摘です。
素晴らしい。読書力高く批判力もある。教員時代クラスに一人か二人いました。
「いいとこ突いたぞ」みたいな得意顔して批判するタイプ(^.^)。
そのようなとき、私は授業でこう答えたもんです。
「いい質問だ。では、その部分を再読してみんなで考えよう」と。
本稿も同じことをやろうではありませんか。
第276号「2026年第51回総選挙、本来の議席数」は空海論につながっているかいないか。
授業なら276号全文を読んで次の2つを板書します。
1 空海論につながっていないと思う。
2 空海論につながっていると思う。
さて、どちらでしょう。おヒマなら再読してこの難問に挑戦してください。
ちなみに、以前も一読法授業紹介でやったことがあります。
このような場合、私はまず「なんとなくでいい。1か2のどちらか答えてごらん」と言って10人ほどを指名する。「1です…2です。1…1…2…」と大概1が多い。
その後「これから指名する人は1、2だけでなく根拠も言うこと。言えなければ減点する」と宣告する。すると指名されていない生徒から猛烈な不満の雨あられ。朝三暮四の猿のように(^.^)。
「わかった、わかった。根拠を言えたらボーナス点をあげる」と言ってさらに一人一人考えさせたり、「近くの人と話し合え」と時間を与えたものです。
みなさんはどうですか?
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