○ 四タイプ 原性格を正しつつ 自我の成熟目指す生き方
ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」 2024年05月10日(金)第63号
『続狂短歌人生論』63 四タイプ統合の人格 その3 次善の策
今号は統合の人格を目指すにあたって「次善の策」を提起。
それは一気の変化、完璧にして理想的な人格を目指すことではなく、その方向へ自分(自我)を成長させようということです。
ところで、相変わらずの一読法復習(^.^)。
一読法の基本は「途中で立ち止まって考える」ことであり、同時に「未来を予想する」ことです。文章を読む場合は「この後何が書かれるだろう。筆者は何を言おうとするのだろう」と推理すること。
これはとても難しいので、多くの筆者(作者)はヒントになることを文中に散りばめています。それが小説においては「伏線」だと説明しました。
その際作家が「これは伏線ですよお。気を付けて読んでねえ」などと書くことはありません。「読者はこの伏線に気付くかな」とにやにやしながら書いています。伏線とは作家から読者への挑戦なのです。
小説をたくさん読んでいる人は「おやあ。こりゃ伏線かも」と思いつつ読むことができます。
読み進めて「やっぱり伏線だったか」と気づいてひそかに快哉を叫ぶ。これが読書の楽しみでもあります。
実はこの伏線、論文――説明的文章においてもあるのです。もちろん私もやっています。
今回前号にて久しぶりに今後3号分の見出しと狂短歌を公表しました。
あれってとてもわかりやすい未来予想のための「伏線」です。
隠してもいないので、作家としては下手くそな伏線(^_^;)。
なのに、読者は気づいてくれない……。
小説をたくさん読んでいる人、一読法上級者なら「なるほどこれを読んで次号、次々号の内容を予想しろということか」とつぶやく。そうつぶやいて実践してほしい。
だが、「これが論文的伏線か」と気づかない人はさーっと通読する。
そこで立ち止まることはなく、未来を予想することもない……ああ。
5月08日(水) 62号 四タイプ統合を目指す その2 最善の策
〇 統合とは 強く厳しく突き放し 甘えを許し受け入れること
5月10日(金) 63号 四タイプ統合を目指す その3 次善の策 ―――――本号
〇 四タイプ 原性格を正しつつ 自我の成熟目指す生き方
5月15日(水) 64号 四タイプ統合を目指す その4 三善の策
〇 統合の人格目指すその前に 補い助けあう集団
(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 四タイプ 原性格を正しつつ 自我の成熟目指す生き方
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統合の人格とは「成熟した自我」と言ってもいい。
以前述べたように、原性格を露にする脅迫・批判、傍観・受容の大人とは「子どもっぽい大人」である。
子どもは我慢できずにすぐ怒る。幼い理屈を並べ立てて自分は正しいと訴える。うそがばれても「うそでない」と言い張る。
部屋の隅ですねて優しい言葉を待つ。大人(親や先生)の言うことを何でも聞く良い子でいる。そのような子どもがそのまま成長した姿であると言ってもいい。つまり、成熟していない。
私たちは周囲に何人か成熟した自我の持ち主を見かけることがある。
その人は大概リーダーとして活躍している。彼は怒鳴ることはない。批判することはあるけれど、悪口にはならない。相手の言葉をよく聞き、適切なアドバイスができる。相手の成長を待つことができる。困っている人、悩んでいる人を見かけると、「どうした?」と声をかけてくれる。
基本は相手を受け入れていること。ただ、何でも許すわけではなく「おかしい」と主張できる。それこそ成熟した自我の持ち主であり、統合の人格者と言えるのではないだろうか。
[ここで下書きから20年後のつぶやき。このような人が最近少なくなったと感じるのは私だけでしょうか。特に政界において。どうしてあのように子どもっぽい議員・首長が増えたのでしょう。しかも「自分はえらい」と思って謙虚を知らない。やれやれ]
だが、この統合の人格者への道はかなり険しい。いざ歩み始めると、すぐに行き詰まりを感じるだろう。そのとき「次善の策」として始めてみたいのが自分の原性格の「発現」を許しながら――逆に言うと原性格の「悪しき傾向」を少しだけセーブして他タイプの良い点を取り入れる生き方である。
以下タイプ別に語ってみたい。
脅迫者
脅迫者は、怒りと脅迫のドラマをセーブする。やめはしない。忍耐を持って「待つ」こと、さらに長い目で他者と事態を見つめ、優しさを持って許す。
脅迫者が「気は優しくて力持ち」の金太郎になってくれるなら、彼はもっとも他者から愛され尊敬される。
怒りと脅迫のドラマをセーブするのに必要なこと――それは「反省」である。怒りすぎた、威嚇し過ぎた、自分が怒ることで身近の人を傍観者・受容者タイプに追いやった、と反省できれば、脅迫者は「成熟した自我」に近づける。
批判者
批判者も腹立ちと批判のドラマをセーブする。やめようとしなくてもよい。脅迫者同様、忍耐を持って「待つ」こと、さらに長い目で他者と事態を見つめ、優しさを持って許す。これは批判者が「完璧主義」に陥ることを防ぐやり方でもある。「許す」とは完璧にできない自分を許し、平均以下しかできない(と思う)周囲を許すことである。
腹立ちと批判のドラマをセーブするのに必要なこと――これも脅迫者同様「反省」である。腹を立てすぎた、小言・説教を言い過ぎた、自分が良かれと思ったことを相手に押しつけて自立自発を妨害している、と反省できれば、批判者もまた「成熟した自我」に近づける。
反省できる批判者はリーダーとして、我々をしっかり見つめてくれる友として、とても信頼できる存在になるはずだ。
傍観者
傍観者は無関心と傍観のドラマをセーブする。一気にやめることなどできないと思った方がいい。他者と一つ関わりを持ったら、すぐに引いて三つほど傍観する。そしてまた一つ相手と関わりを持つ。
傍観者に欲しいのは行動力と積極性、強さと厳しさだ。だが、傍観者は本来持つエネルギーがとても乏しい。
よって、傍観者こそエネルギーを与えてくれる「援軍」が必要だ。傍観者はまず身近の傍観者・受容者タイプを協力者にすることからスタートするべきだ。援助者・賛同者を作ることができたとき、傍観者はまた一つ他者や事態に関わりを持つ強さ(エネルギー)を得るだろう。
だが、怖ければ無理する必要はない。逃げればいい。もしもあなたが依然として孤立無援なら、脅迫者や強烈批判者と闘えば敗北は必至である。相手が闘いを挑んできても逃げた方がいい。
ここでも必要なことは「反省」である。五十歩百歩ということわざがある。戦場において自軍の敗戦濃厚となって兵士が散り散りに逃げる。そのとき五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病者と嘲り笑った。しかし、逃げた点ではどちらも同じ――と解釈される。
私はこの見方に賛成できない。「五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病者と嘲り笑う」なら、それは確かに逃げて開き直った傍観者である。
だが、五十歩逃げたとしても、そこで踏みとどまって「逃げたこと」を反省するなら、この兵士は「反省できる傍観者」である。「逃げている・傍観している・無関心すぎる」ことを反省できるなら、この傍観者は五十歩を三十歩にして二十歩、十歩にできる。最後は信頼できる友(援助者)を得て「逃げずに立ち向かう」ことができるようになるだろう。
そのとき傍観者は中立的な存在として、人の良さを引き出す貴重な人材となるはずだ。
受容者
受容者タイプも弱者と諦めのドラマをセーブする。ただ、他の三タイプと違って人や事態を受け入れることに関しては称賛されることが多いので、もっとも難しい。たとえば、聖母マリア、慈悲深き観音様に「変わってほしい」と言う人はいないだろう。
だが、現実の受容者と聖母や観音様との違いは受容者が「ほんとは全て受け入れていない」ことだ。弱い自分を守るため、仕方なく受け入れている。だからこそ愚痴が出る。人に奉仕しているのに、わかってくれないと涙ながらに訴える。
よって、受容者も「反省」が必要だ。事態を何でも受け入れて「どうせダメだ」とあきらめていないか。相手の言動を全て許して受け入れていることを「受け入れ過ぎていないか」と反省し、ときには(勇気をもって)「あなたの言うこと、やっていることはおかしい!」と主張すること。
相手が暴力をふるう脅迫者だとこれはほとんど不可能である。言えば脅迫者は怒る。ひどいと暴力をふるう。ここは立ち向かうのでもなく、暴力を我慢するのでもなく、一発目から警察に駆けこむことだ(それしかないと私は思う)。
だが、相手が批判者、傍観者なら暴力はふるわない。せいぜい激しい怒りとか腹立ちの言葉が返ってくるだけだ。
そのとき有効なのは「どうして怒るの? 何が不愉快なの?」と聞くこと。
痛いところを突かれて怒っていることがあり、家族以外の何か面白くないこと、いら立ちが発露されている可能性がある。それを聞いてあげれば、相手はまたあなたに惚れ直す(はず)。
受容者に必要なのは四回に一回、相手を受け入れないことだ。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:前置きに論文的伏線について書き、とてもわかりやすい見出しと狂短歌でその内容を暗示しました。本号はまだ2号目。次回もう一つ「三善の策」が公開されます。
さて、前置きを読み、3号分の見出しをもう一度読んで、
「じゃあ、次の内容を予想してみるか」とつぶやいて実践しましたか?
やったなら「次号の内容」を言えるはず。お答えください。
おそらく「えっ、ここでやるの? やっていないから言えないよ」とつぶやいたのではないかと推理します。
ああ……と指導に従ってくれない生徒への嘆き(^_^;)。
次の見出しは以下。
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5月15日(水) 64号 四タイプ統合を目指す その4 三善の策
〇 統合の人格目指すその前に 補い助けあう集団
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さすがに「そうか。それが書かれるのか」と気づきましたね。
過去2号との違いに気づくには前2号をまとめておく必要もあります。
が、再読しなくても大丈夫。3号分の見出しと狂短歌を読み直すだけです。
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