【第10回】 狂短歌
☆ 目的を遂げてぽっかり空虚感 遍路の道を汗だくで歩く
室 戸 散 策 [画像7枚]
7月15日(木)、明星を見るという目的は果たしたので、この日はのんびり徳島へ戻ろうと思った。その前に、海岸から最御崎(ほつみさき)寺へ登る昔の遍路道に、空海一夜づくりのほら穴とねじり岩、それに(昔女性の参拝専用だった)小さな祠があるので、それらを見に行こうと思った。
☆ 最(ほつ)御崎寺への登り口標識
朝食後車を中岡慎太郎像近くの駐車場に置き、海岸の遊歩道を散歩してから遍路道へ入った。静かで参拝者は一人もいない。すぐに空海一夜づくりの洞窟があった。奥は浅く双子洞窟と比べれば、これは単なる洞窟で聖地とは言いがたい(^.^)。
それでも空海はこの洞穴で暮らしたり、求聞持法(ぐもんじほう)の修行を行ったのだろうか。あるいは、空海以後、地震などの天変地異があり、突如洞窟が出現したのだろうか。それで空海一夜づくりの洞窟と名付けられたのかもしれない。
☆ 空海一夜手作りの洞窟
一夜洞窟見学後さらに遍路道を登る。そこから最御崎(ほつみさき)寺まで六八〇米とあった。確か太龍(たいりゅう)寺から舎心が嶽頂上までも六八〇米だった。面白い偶然だと思っておかしかった。
しばらくの間くねくね道を登って行く。ずっと鬱蒼(うっそう)とした樹海の中で海も見えない。でっかい里芋(の葉)が群生したところもあった。途中木々の枝に小さなプラスチック製の札がぶら下げられ、そこに「遍路道」と書かれている。いくばくかの寄付でそれを寄贈したのだろうか。その案内札には人名が記されている。福岡市の人や川崎市在住者の名がある。「大分市何々」とある札を見かけたときは「へえっ大分の人も来たんだ」と妙に感心した。
八十八札所巡りは全国から集まる。だから、別に大分の人が遍路をしてもおかしくない。ところが、このときは妙に感心して妙に気になった。そして、後ほどこの大分市と書かれた札が伏線だとわかったから、ジンセーは面白い(^.^)。
☆ ねじれ岩のすき間
しばらく登るとねじれ岩があった。でっかい岩ですき間がある。下の洞窟にせよ、これにせよ、どちらもこの裂け目に意味があるのではと思った。昨年12月に家族で福岡の海岸沿いのホテルに泊まった。そのとき宗像(むなかた)神社の博物館で、対馬壱岐(いき)地方の風習を知った。それによると、かつて対馬地方では大岩のすき間に神を祀(まつ)り、祈りをささげていたらしい。洞窟や大岩のすき間というのはある意味、神の棲む聖地と考えていたのだろう。
その後は女性専用の祠を探してひたすら登る。ガイドブックではねじれ岩から十分ほどで着くとあったのに、祠を発見できない。とうとう中腹の展望台まで来てしまった。展望台と言いながら、周辺の木々が伸びすぎて海は全く見えなかった。
私はここで一休みして額の汗を拭った。のどが渇いて水を飲みたかった。しかし、祠まで行ったら引き返すつもりだったので、ペットボトルを持って来なかった。
私はどうしようかと思った。さすがに半徹夜状態が二日続いただけに、かなりの疲労を感じた。もう祠の場所は過ぎたように思われた。祠を見つけないまま降りるか。それとも、ここまで来たら最(ほつ)御崎寺まで登ってしまうか。すでに三十分は歩いた感じだった。
最御崎(ほつみさき)寺は昨日訪ねた。そこまで行けば水も飲める。それに、誰か車遍路の人に出会えば、その車に乗せてもらい、下の駐車場まで連れて行ってもらうこともできる(^.^)。ここまで来たら最御崎寺まで登ってしまおうと決めた。
さらに十分ほど登ってようやく最御崎寺の山門までたどり着いた。さすがにしんどかった。境内に入るとすぐに手水(ちょうず)の水を飲んだ。汗がどっと噴き出した。
☆ 遍路道を登って、二度目の最(ほつ)御崎寺山門
☆ 最(ほつ)御崎寺鐘石(かねいし)
境内(けいだい)には誰もいなかった。私はしたたり落ちる汗を拭いながら、もう一度寺の由来を説明した案内板を眺めていた。すると山門から入ってきた夫婦らしき熟年男女が私に近づいてきた。
そして、男性が「日御碕(ひのみさき)灯台はどこですか」と聞く。
私はえっと思った。日御碕灯台とは島根県出雲地方の先端、日御碕(ひのみさき)にある灯台だ。なぜわざわざ日御碕灯台のことを聞くのだろうと思った。私はたぶん室戸岬灯台の間違いだろうと思いながらも、「えっ、日御碕灯台ですか」と問い返した。
男性はあわてて「いや、ここの灯台です」と答えた。
私はすぐに山門を指さし「その先数十メートルも行けばありますよ」と教えた。しかし、灯台の敷地には入れないし、海もあまりよく見えないと付け足した。
それから私たちは連れ添って本堂へ向かった。私は日御碕灯台は島根県ですと話し、「自分は島根大学出身だからすぐにぴんと来ました」と言った。すると彼らは広島の出身だという。そして、高知にいる孫に会いに瀬戸内大橋を渡って来た。室戸岬灯台を見ようと思ってこちら側を南下したと説明した。
私は下の遍路道から歩いてきたことを明かした。暑くてしんどかったことも話した。彼らは感嘆していた。それからお参りの後近くの石造テーブルに座り、なお主人と雑談を交わした。
私は御蔵洞(みくろど)窟の話をして、昨夜の明星体験を語った。彼らは双子洞窟があることは気づいたが、大したことはないだろうと思って寄らなかったらしい。私はぜひ行くといいですよと言った。主人も「行ってみようかな」などとつぶやいた。私は行くようだったら、一緒に乗せてほしいと思いながら、その言葉は出さなかった。
そのとき私はかなり疲れた顔をしていたのかもしれない。主人は「車だから、下まで送っていきましょうか」と言ってくれた。
私は内心ラッキー(^o^)と思いながら「さすがに同じ道を降りる気はしなかったので、ぜひおすがりしたい」と答えた。
☆ 最(ほつ)御崎寺大師像
その後彼らは室戸灯台を見に行き、私は下の駐車場で彼らを待った。そして、夫婦の車に乗せてもらった。車内で私はなお双子洞窟や前日の太龍が嶽での明星体験を語った。婦人が面白い縁ですねとつぶやいた。そして、海岸まで降り、中岡慎太郎像を通り過ぎて双子洞窟の所まで行った。
私と二人はみくろど窟に入った。そこで洞窟の中から明けの明星がどう見えたかを熱心に説明した。
しかし、二人はそれほど感動していなかったようだ。洞窟を出るとき、私は婦人に「写真を撮らなくていいですか。撮ってあげますよ」と言った。
すると彼女は「ああ、ここはいいです」とあっさり答えた。
私は案内所の熟年女性に今朝の明星体験を話し、挨拶してから行こうと思った。すると、そこにいた女性は昨日の人とは別人だった。これも私をがっかりさせた(-_-)。
☆ 室戸岬の浜
それから、彼らは私を中岡慎太郎像前の駐車場に下ろすと、そのまま走り去った。
これで私は室戸岬に別れを告げた。人はそれぞれの問題とそれぞれの答えを探し求めている。だから、私が感激した話を聞いたからと言って、同様に感動するとは限らない。もちろんそれはわかっている。しかし、私はぽっかり穴が空いたような、空しさを感じていた。(続)
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