「悲しき表現者 その2 」


○ 裏切られ 傷つけられてまたへこむ 起きればいいさ ダルマのように



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2014年 3月14 日(金)第 163号


 前号に続いて【悲しき表現者 その2】です。すぐにでも発行するつもりでしたが、〈現代のベートーベン氏〉が「いつか謝罪会見を開く」とのことだったので、それを待っていました。
 今月9日ようやく《謝罪》会見が行われました。残念ながら本論で追加訂正したい内容はありませんでした(後記で若干触れます)。よって、今号は先月書いていたものをそのまま公開します(-.-)。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 裏切られ 傷つけられてまたへこむ 起きればいいさ ダルマのように

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 悲しき表現者 その2 】

 仏教では「妄語=嘘」は十悪の一つです。それを言わずとも「うそをついてはいけない」との教えは至極もっともな意見です。親は我が子に必ずそう教えるでしょう。
 と言いつつ、私たちは弱い自分がつくうそ、小さなごまかしやいつわり、人を傷つけないためにつくうそなら《許される》と思っているところがあります(^_^;)。

 しかし、小さなうそを続けていると、やがてうそをつくことに慣れてしまい、それを悪いと感じなくなる。結果、気軽についたうそで身近の人を大きく傷つける。あるいは詐欺・ペテン・悪質商法など現実の犯罪に走ってしまう――などと前号で語りました。殺人・強盗・傷害・放火などと違って詐欺や悪質商法はうそに基づく犯罪と言えます。

 では「小さなうそを一切つくことなく、自分の心に正直に生きることは可能か」と問われるなら、「それはそれでかなり難しい」と答えざるを得ないでしょう(^_^;)。

 以前テレビで「心で思ったことを正直に言葉にする」という設定の番組を見たことがあります。
 職場や家庭、学校などで同僚・ダンナさんと奥さん、子どもに兄弟姉妹、恋人同士や学友などが普通の生活をしている。その中の一人にだけ「おせじやうそは一切言わず、思ったことをそのまま口にする」よう指示して他の人たちの反応を見るのです。

 結果は映像を見なくとも想像がつくと思います。周辺の人たちはみな仕掛け人が正直に発する言葉に反感を覚え、人間関係がぎくしゃくしてしまう。ときには険悪な関係にさえなってその試みはとても続けられない……結果になったのです。

 小さなうそは人間関係において潤滑油の効能がある――これもまた間違いのないことでしょう。

 さて、2月初めゴーストライター氏の暴露会見によって〈現代のベートーベン〉がうそだとわかったとき、私は二人を責めるよりむしろ悲しい気持ちになりました。

 それはなぜだろうと考えてあることに気づきました。この沈んだ気持ちとは「人を見たら泥棒と思え」と言われたときの感情と似ていることに(-_-;)。

 昨年末私は「振り込め詐欺に注意しましょう、自分の名は詐欺師のリストに載っていると思うべきですよ」と書きました。
 振り返ってみると、この言葉には別の意味と言うか、あるニュアンスが含まれていることに気が付いたのです。すなわち「あなたに電話をしたり、声をかけてくる人はみな詐欺師と思いなさい」と言っているに等しいのです。

 テレビではしばしば感動的なエピソードが放映されます。日本人は特に感動的な実話が好きとか。
 私たちは今後それらを見て「本当かしら」と疑う可能性があります。あるいは、「下手に感動しないようにしよう。作り物かも知れないから」と思うかもしれません。
 彼らが犯したうそ偽りより、そのように感じてしまう自分が悲しくなります。だから顔文字は[(-_-;)]こうなりました。

 かと言って心の中をなんのためらいもなく口外するとなると、これはこれで異和感を覚えます。

 同じ頃東京では都知事選が行われていました。投票が行われた日曜日、たまたま見ていた夕方のワイドショーで、一人の応援弁士の驚くべき言葉が紹介されていました。

 その人は零戦と特攻をテーマに書いた作品が文庫本百万部を突破して超売れっ子となった著名作家です。彼が某候補を応援したとき、聴衆を前にして「他の候補はみな人間のクズだ」と言ったというのです。

 こちらもそれを知ったとき、あきれると同時に悲しくなりました(-_-;)。

 なぜなら、彼の作品に感動して(正確に言うと読もうと思って)文庫を買った人が百万人もいるのです。図書館などから借り出して読んだ人はその数倍いるでしょう。映画にもなったので、感銘を受けた人は一千万人にのぼるかもしれません。
 また、彼の別作品は「本屋大賞」も受賞しています。本屋大賞とは全国の書店員がその年最も推奨する作品ということです。
 これら彼の作品を読んで感動した人、推奨した書店員が東京都民なら、彼が言う「他の候補」に投票した人はかなりいるはずです。

 このことから、たとえば一人の読者が彼に向かって「私はあなたの作品を読んで感動しました。でも、都知事選では別の候補に投票しました。その候補者が人間のクズなら、その人に投票した私も人間のクズなんでしょうか」と言ったなら、一体なんと答えるのでしょう。
 つまり、彼は自分の作品を買って読んでくれる人を「お前たちは人間のクズだ」と言ったに等しいのです。なぜそこに思いを馳せなかったのか不思議に思います。

 前号も書いたように、小説や絵画、音楽など芸術作品は制作者の人間性とは関係なく「素晴らしいものは素晴らしい」として評価されるし、それで良いと思います。別に人格者である必要はないでしょう。極端な感性、考え方を持っていたとしても、ある意味《ひねくれ者(^.^)》として許されている面もあります。

 ところが、その人が社会に影響を与えるような表舞台に出てくるとなると、話は違うと思います。くだんの著名作家は今年NHKの経営委員に抜擢されたからです。
 一般的にNHK経営委員とは《有識者》が選出されると考えられています。彼の「人間のクズ」発言は有識者としてふさわしい発言でしょうか。

 今回NHKの会長、経営委員に選定された方の中には、他にも「?」と思える人物がいます。会長は「従軍慰安婦はどこの国でもあった」と言い、ある女性哲学者は右翼の大物を賛美し、「今上天皇は現人神(あらひとがみ)である」と明言しています。
 政府はこれらの発言を「自らの思想、信条を表現することは自由である」として問題視する気はないようです。

 しかし、もしもその人が「テロは正しい」とか「天皇制は破棄されるべきだ」と公言したなら、どうでしょう。落ち着き払って「自らの思想、信条を表現することは自由である」と言って済ませるでしょうか。
 おそらく危険思想の持ち主と見なされ、発言が発覚するや国会で大問題となり、直ちにNHK経営委員をやめさせるでしょう。くだんの都知事候補応援作家は自ら「首相と対談して意気投合した」と語っていたそうです。だから、委員に選ばれたのかもしれません。

 ということは、政府与党の中に内心彼らと同じ感情を持っている人が多いと思わざるを得ません。その人たちを《有識者》として抜擢して何も感じないのだから。
 政府与党が応援する都知事以外の候補は「みな人間のクズ」であり、「従軍慰安婦はどこの国でもあった。なんでうるさく問題にするんだ」と思い、「天皇は今を生きる神様なんだ」と見なしていると……。

 私は思います。確かに「個人が何を思い、何を考えようと自由である」と。ただ、心の中で思っても、それを言葉として発するか公表するか。さらに、行動に移すかは大きく違うのではないでしょうか。こうした発言は世界の常識ではないし、日本国内においても有識者の良識ではないと思います。

 ドイツナチスのヒトラーは「ユダヤ人は○○○だ」と「人間のクズ」以上(以下?)の蔑視発言をしています。それがヒトラー個人の中でおさまっている分にはまだいい。いや、良くないけれど、彼と数人数十人の支持者の中だけなら、実害は招かなかった。
 けれども、彼がドイツのリーダーとなったとき、彼はその思いを実現して戦争を起こし、ユダヤ人をホロコーストで苦しめました。

 彼らが発した三つの言葉は小さな、ささいな言葉かもしれません。「目くじら立てるほどのことじゃないよ」と言うかもしれません。
 しかし、その三人が中立公正であるべきNHKの経営委員に選ばれたとなると、小さなことと済ましておれません。

 第二次世界大戦前「天皇は現人神(あらひとがみ)である」と思い、「既得権益を守るためには戦争もやむを得ない」と思い、「臣民は国を守るための道具に過ぎない」と思い、「従軍慰安婦は必要悪だ。征服した国の女を使って何が悪い」と思った連中が国のリーダーになりました。
 その連中が戦争を決断してアメリカと戦い、負けそうになったら「降伏せずに万歳突撃しろ、零戦で特攻だ」と命じて兵士を犬死させ、一般人に竹やりを持たせました。さらに、「天皇制を守るため」ぐずぐずしていたせいで、各都市は焼け野原になり、ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されました……。
 その歴史を知っているなら――日本やドイツの現代史を学び、それを自分のことのように感じているなら、従軍慰安婦発言は出てくるでしょうか。零戦や特攻を調べ、戦争体験記を読んだ作家から、人間のクズ発言は出るでしょうか。悲しい言葉であり、悲しい五十代です。
 そして、四十代、三十代の次期リーダー候補や有識者たちからも同じような悲しい人たちが出現しているように感じます。

 繰り返します。誰でも心の中で「おれ以外の人間、おれの言うことを聞かないやつらはみなクズだ」と思って構わない。「兵士を慰めるための従軍慰安婦は必要悪だ」と思って構わない。「日本国家のために活動する右翼は立派だ。天皇は神様だ」と思っても構わない。
 しかし、それをおおっぴらに発言し、世界に向かって発信し、もしも人に「そう思いなさい」と強要するなら、その人はとても常識ある社会人とは思えません。
 それは敢えて言うなら、「テロは正しい。目的のためには弱い連中を抹殺しても許される」と考えるテロリストと同じように危険思想だと思います。

 長々と書いて申しわけありません。もうすぐ終わります(^_^;)。

 ここまで書いたとき、メルマガ巻頭に掲載する狂短歌としてつくったのが以下の歌でした。

 ○ 今はむしろ 人間のクズ自覚して 高き理想を 持ち続けたい

 うそをつかない人生を歩みたい、「人間のクズ」と発言する人も、やがて気づいてくれることを信じたい。某元総理が東日本大震災後「原発は0に」と発信しているように。「人を見たら泥棒と思え、詐欺師と思え」と言うのも悲しい。そうではないと信じたい。しかし、これは所詮理想でしかないのだろうか。それが高い理想だとしても、それを持ち続けたい……そのような気持ちをこめて詠みました。

 ただ、これはこれでいいとしてなんだか「重いな」と感じました(^.^)。
 もっと軽く軽くこのショックと言うか、落ち込みから脱する方法はないだろうか、と思ったのです。

 東京都知事選の結果が出た翌月曜の夜、午後十一時頃私はパソコン作業を終えてひょいとEテレをつけました。ちょうど「スーパープレゼンテーション」が始まる時間でした。
 この日は「22歳の心の叫び 詩人サラ・ケイ」による講演でした。

 アメリカの若き女性詩人は「スポークン・ワード」と言って(語られる言葉・詩?)単に紙に書くだけの詩人ではない感じでした。確かに彼女は多くの詩的な言葉を語っていました。何より目が生き生きと輝いていたことが印象的です。

 彼女は未婚らしく「もし私に娘がいたら」これこれのことを教えると言って語ります。
 たとえば、今の子どもはとても傷つきやすい。何もできなくて自信を持てないでいる。だから、「私に娘がいたら十のことを教える。まず、わたしこれできる。これならできるということを発見させる。そして、これなら続けられることが見つかったら、無理せず等身大の自分を表現させる。表現することで人とつながり、それが喜びとなる」などと語っていました(^_^)。

 私がとても感心したのは彼女が人生を《ボクサー》にたとえたところです。
 生きることはとても痛い。まず顔をぶん殴られて倒れる。なんとか立ち上がる。すると今度は腹を蹴られて「うっ」とうめいて倒れる。ようやく立ち上がる。けど、また顔を殴られる。何度も殴られ叩かれた結果、私たちはいつも両手を構えてボクサーのように 、相手のこぶしをよけ、腹をガードして殴られないよう、叩かれないようにして生きている――と。
 もちろん「それっておかしくない?」と言いたいのです。

 私は聞いて笑ってしまいました。それこそ正にうそやいつわり、裏切りに傷つき「人を見たら泥棒と思え、詐欺師・ペテン師と思え、感動的な話にはウラがあると思え」の巧みな比喩になっていたからです(^_^)。

 番組を見終えた(彼女の話を聞き終えた)とき、私の沈んだ心は軽くなっていました。
「そうだよ。殴られ叩かれたって立ち上がればいいんだ。いつも身構えて傷つかないよう自分を守って生きるんじゃなく、倒れたら起きあがればいいんだ。高い理想なんか掲げなくたっていい。ただ立ち上がればいいんだ」と。

 そのとき、日本語で最適の言葉を思い出しました。ダルマさんのことわざ「七転び八起き」です。
 ダルマさんは別に高い理想をもって起きあがっているわけじゃない。殴られたら必ず倒れる。でも、何も考えずにただ立ち上がっている(^.^)……「これだっ!」と思いました。

 かくして最終的に採用した狂短歌が巻頭の作品です(^_^)。


 ○ 裏切られ 傷つけられてまたへこむ 起きればいいさ ダルマのように


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:またも長い長い文章で恐縮です。m(_ _)m 書き始めると、語りたくって仕方がないのです(^_^;)。日本を取り巻く国との関係が悪化して(世界もかつての冷戦に戻りそうで)いつか来た道を歩こうと考えている人が増えているせいかもしれません。
 忘れちゃいけないのは、日本で戦前のリーダーと有識者を支持し、戦争を支持したのは多くの国民だったことです。ヒトラーを支持したのもユダヤ人以外のドイツ国民でした(全員でなくとも)。支持者がいなければ、彼らは裸の王様に過ぎません。
 今「人間のクズ」発言を支持する人は十数パーセントにのぼっていよいよ発言力を増しているようです。なんでわかるかって? 彼が応援した都知事候補者が六十万票(得票率十三パーセント)を獲ったからです。

 ところで、うそをついたことを謝るとき、「人のせい、運命や境遇のせいだ」と言い訳したり、「自分よりもっと悪い人がいるじゃないか」と言ったなら、それは心からの謝罪とは思えません。前者は「だから自分は悪くない」と言っているのであり、後者に至っては「自分は確かに悪い。悪いよ。でも、もっとひどいやつがいるじゃないか」と語っているからです。日本語ではこれを《居直り・開き直り》と呼びます。

 くだんの「現代のベートーベン氏」は謝罪会見を行いました。何度も謝りつつ、彼は最後に「うそをついたゴーストライター氏を告訴します」と言いました。それを見て《居直り》と感じたのは私だけでしょうか。
 私はこう言ってほしかったなと思います。「ゴーストライター氏の発言には違っている部分があります。でも、それには触れません。我々は確かに共犯者であり、彼を引きずり込んだのは私だから。彼にも心から謝りたいと思います」と。



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