○ 自らは死の近きこと悟りつつ 老妻のため割ったるマキは?
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2013年 7月 9日(火)第 155号
休刊中の6月にサッカー日本代表がワールドカップ出場を決め、富士山が世界文化遺産に登録されました。
どちらもおめでとうございます(^_^)。
特に富士山の方は美保の松原も「入れるべきだ」と意見が出され、それも含まれたことは喜ばしい限り。「遠すぎるから除外せよ」との答申が出たとき、私も「文化遺産なのに妙な答申だなあ」と思った一人でしたから。
ただ、今後富士登山の激増が予想されます。熱くなりやすいのが我ら日本人。事故が起こる可能性もかなり高いと思います。死ぬまでに一度登ってみたいと思っている方、富士で死んじゃなんにもならないので、しばらく様子見してはいかがでしょうか。えっ、「富士で死んだら本望だ」ですか(^_^;)?
さて、今号のテーマは富士と全く関係なく……、
7月6日の早朝ふっと目が覚め、眠れそうになかったので起きだしてテレビを付けました。
するとNHK『関東甲信越小さな旅』(再放送かも?)が目に留まり、思わず最後まで見てしまいました。
そして、これはぜひみなさんにお伝えしたいとペンをとった(比喩ですが)次第です(^_^)。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 自らは死の近きこと悟りつつ 老妻のため割ったるマキは?
小さな旅の舞台は茨城県大子町の蛇穴町――山間の小さな地区でした。
大子町には一度行ったことがあります。袋田の滝で有名なところです。
もちろん蛇穴町など初見で、「へびあな」とは変わった名だあと思ったら「じゃけち」と読むと後で知りました。
全国の過疎地同様、じいちゃんばあちゃんがのんびり(?)暮らす山里の地区でした。
主役らしきばあちゃんは今年81歳。やや腰は曲がっているけれど、とてもお元気です。
まず、でっかい斧を振りかぶってマキ割りをやっている姿が映し出されてびっくりしました。
お若い(^_^)。
風呂炊き用かと見ていたら、居間に囲炉裏(いろり)があってそこにマキストーブが設置されています。マキはストーブ専用だったのです。
撮影時期は4月初め頃だったようで、まだまだ朝晩寒く、ストーブはとても重宝している。「これで米を炊くし、煮物も作れる。あったかいし、便利だよお」とおばあちゃんは言います。
私も一、二回マキストーブに遭遇したことがあります。ほんとに暖かくて「いいなあ」と思ったことがあります。でも、マキ割りはしたくありません(^_^;)。
おばあちゃんはマキ割りだけでなく、山にたきぎ採りにも行くらしく、大きなカゴにたきぎを背負っててくてく歩く姿も映されました。そして、近所の人と言葉を交わす。
蛇穴地区でそのようなことをやっているのはおばあちゃんだけのようです。
夫はすでに先立ち、3人の子はみな独立して一人暮らし。家の煙突からは煮炊きの煙がもくもく出ています。
ある意味「生きている証」ですね(^.^)。近所の人は煙が見えないと心配して訪ねてくるそうです。
ところが、おばあちゃん家の裏にある小屋が出現したとき、もっとびっくりしました。
そこには大量のマキがうず高く積まれていたからです。その数なんと1万5000本!
「なにそれ?」って思いました(^.^)。
おばあちゃんの言葉で事情がわかりました。大量のマキは亡き夫が残してくれたマキだと言うのです。
「5年前夫は86歳で死んだ。その何年か前病気になったとき、自分は長くないと思って私のために丸太を割ってマキを作り、それを小屋に一本一本積み重ねてくれた」とおばあちゃんは言います。
しかし、ということはおばあちゃんは自分でマキ割りをしなくても、充分生きていけるというか、それを使えばいいはず。なのに、おばあちゃんは「夫のマキを絶やさぬよう」「マキが減るのがさみしくて」今でもマキ割りをしているというのです。
考えてみれば、確かに1万5000本のマキも一日10本、1年3650本使ったら、4年余りでなくなってしまいます。5年前夫のマキを使い始めていたら、今は消えている勘定です。
でも(私は思いました)、あのおばあちゃんにそんな計算はなかっただろうと。
夫は妻のために毎日毎日ひたすらマキを割り続けた。病気がちなら、しんどいこともあったでしょう。それでも「お前が生きていけるように」とマキを割り続けた。それは間違いなく夫の妻への思いやりであり、愛でしょう。
1万5000本のマキはおばあちゃんにとって夫そのものであり、夫の深い愛を感じ取れる形見である。だからこそ手を付けることなぞ考えられなかったのではないか。
あるいは、自分が動けなくなったとき、初めて夫のマキに手を付ける。そして、しみじみ夫を思い出しながら、今度は自分にそのときが来るのを待つのでしょう。
1万5000本のマキを作るには1年365日で割ると、一日40本余り。毎日休むことなく割り続けて1年かかります。一日20本なら2年。2年か3年で作り上げたのでしょうか。
加藤登紀子さんの歌に「100万本のバラ」というのがあります。貧しい絵描きが女優に恋をした。小さな家とキャンバスを金に換えて100万本のバラを贈ったという歌。
それは男が女性に示す愛の形としても、「さすがに100万本はちょっと無理だろう」と突っ込み入れたくなります(^.^)。
対して「1万5千本のマキ」は現実の話です。これは年老いた夫が長年連れ添った妻に残す、素晴らしい愛の形ではないか――そう思って感動しました。
その一方、ひねくれたことを考えがちな私のこと(^_^;)、見終えてある計算も してみました。
たとえば、子どもが二人で中流階級の夫婦を考えてみると、年老いた夫が1千500万円の遺産を残して先だったなら、妻や子はどう感じるだろうかと。
すでに自宅もあるなら、遺産はもちろんありがたいと思いつつ「ちょっと少ないかな」と思いはしないか。遺産150万に比べれば格段に多いけれど、遺産1億などというレベルと比べれば、決して多くない……みたいな(^_^;)。
しかし、1千500万の遺産とは1本1000円のマキを1万5000本残してくれたのと同じことです。
マキは一本1000円もしない。高くても1本100円なら、遺産1千500万とはマキ10万5000本と同じなのです。
これを逆に言うと、マキ1万5000本とはお金に換算するなら遺産150万と同じ……と言ってしまうと身もふたもありません(^_^;)。
もしも(家はあるとしても)夫の遺産が現金150万だったら、それを「夫のものすごい愛」と感じてくれる奥さん方は皆無のような気がします。
そう考えると、お金で計られる社会って「愛の価値」をわかりにくくさせているようで、なんだかさみしいですね。
○ 残された遺産が百と五十万 深い愛だと感じられるか
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:今号はつなぎです(^_^;)。参院選が近づいていることもあり、それも含めて書き始めた原稿がいつものように長くなったので、これをはさみました。次号は今月中に発行したいと思います。
それにしても不思議です。原発の新基準制定、審査の申請によって、原発をどうするかの結論を出さないまま、原発再稼働→日本お得意の「根本議論は棚上げ」へと進みそうです。
昨年の衆院選、今回の参院選は「原発をどうするか」を問う国民投票のチャンスでした。ところが、誰も国民投票を実施しようと言い出すことなく、二つの選挙を終えます。憲法改定は確かに一度も行われていないけれど、国民投票も皆無。悲しいことに、これもまた我が母国です(^_^)。(御影祐)
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