○ 語るべき親は我が子に語るべき 祖父母と親を我が子の生まれを
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2005年 7月29日(金)第58号
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暑中お見舞い申し上げます。
22日発行のつもりでしたが、一週間ずれてしまいました。m(..)m
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(^_^)今週の狂短歌(^_^)
○ 語るべき親は我が子に語るべき 祖父母と親を我が子の生まれを
突然の結論で恐縮だが(^_^;)、人は子ども時代の先天的境遇(生まれと環境)に一生とらわれ続けるのかもしれない。
例えば一人っ子として生まれたなら、その子は一人っ子としての利益(周囲の愛)を最大限享受できるだろう。
おもちゃやお菓子、着る物など全てはその子のためだけにある。両親だけでなく、父方のじいちゃんばあちゃん、母方の祖父母にとてもかわいがられるだろう。多人数のきょうだいから見ると、うらやましくて仕方ない愛され方である。
だが、その子は兄弟姉妹がいたらなあと、いつかどこかでふっと思う。おそらく死ぬまでその思いを持ち続けるのではないか。それは乗りこえられないと、その一人っ子をおかしくするかもしれない。
あるいは、二人きょうだいで弟妹の立場なら、自分にも弟か妹がいたらなあと思う。
たぶん子どもはどこかの段階でその思いに気づく。そして、母親にそれをねだることもあろう。子供時代のある年齢までは、弟か妹が産まれることを期待できる。しかし、ある年齢を過ぎると、もはや決して果たされない願望だと知らされる。
思うに、そのあこがれはきょうだいでは下の方がより強いのではないだろうか。自分は一生「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ばれることはないのである。
兄や姉の方がその思いが強いことはないと思う。なぜなら兄弟姉妹を呼び合う言葉として「お兄ちゃん、お姉ちゃん」という言葉しか存在しないからである。
兄や姉は弟妹や両親から「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ばれるけれど、弟や妹は兄姉や両親家族から「弟ちゃん、妹ちゃん」と呼ばれることはなく、「何々、何々」と名前を呼ばれるのみである(^_^;)。
もちろん上の方でも自分に兄か姉がいたらなあと思うことはあるだろう。そして、三人以上の真ん中は真ん中で、狭間(はざま)の苦しみにとらわれ続ける。親の愛は上と下に行って自分にはやって来ないと……。
たぶん多くの人にとってその思いはどこかで乗り越えられるし、あるいは(幸いなことに?)、気づくことなく成長するのかも知れない。だが、とらわれ続けると心の穴になるような気がする。
我が家は二人兄弟で、私には四つ違いの兄がいる。
自分をふり返って、弟か妹がいたらなあと思ったことはあまりない。むしろ兄がいたおかげで助かったことは数え切れない。けんかのときは助けてくれたし、金がないときは小遣いをくれた。二人兄弟の弟としてその利益を存分に味わった気がする(^.^)。
そして、成人後もプレッシャーなき自由気ままな弟の立場だったと思う。両親は兄には期待しているが、自分にはあまり期待していないと思ったり……(それがわかることは気楽であると同時に、さみしいことでもあったが)。
小学校低学年の頃、下村湖人の「次郎物語」がテレビであり、その小説も読んだ。
私は次郎にとても共感して、三人兄弟の真ん中は大変だと思ったことがある。もし自分の下に弟か妹が生まれていたら、自分はその次郎の立場になる。そう思って弟妹がいないことに感謝する気持ちさえあったかもしれない。
ところが、数年前父からあることをうち明けられた。それによると、私には弟妹がいた可能性があったので、とてもびっくりした。
それは病気で入院した伯父(父の長兄)を二人で見舞ったときのことだった。なぜ父が突然そんなことを打ち明けたのかよくわからない。今は亡き母が、私と兄を産むときのことを語り始めたのである。
母は兄を産み、四年後に私を産んだ。父は「その後二度妊娠したが、二度とも中絶した」という。
しかもその後父はパイプカットまでしたそうだ。父によると、二人で話し合ってそれを決めた。土地も財産もない自分たちには二人しか子どもを育てられない。だから、中絶したという。
だが、母はずっと女の子をほしがっていた。母が果たして納得して堕胎したのか、私には疑わしかった。
後に兄に確認してみると、兄もそれは初耳の話であった。母はこの秘密を私たちにうち明けることなく逝ったのである。
父からその話を聞いたときはちょっとしたショックがあった。もし中絶がなければ、自分には弟か妹がいて自分は次郎になっていたわけで、その後の人生は全く違うものになっていただろう。
私の小説『ケンマヤ』や『時空ストレイシープ』で言うなら、そのときふっと他次元の自分を感じたってやつだ。
無限時空のどこかには、兄だけでなく弟妹のいる自分が生きており、日々暮らしているのかもしれない。その思いはまた今の自分という存在を、くっきりと際だたせてくれた。
最後に、再度飛躍した結論だが(^_^;)、やはり両親は子どもに自分を語るべきだと思う。自分の親について語り、出自や生い立ちを語る。そして「お前を」――わが子を生んだときの様々な状況を物語るべきだと思う。
私の好きな吉増剛造(よしますごうぞう)の現代詩『伝説』にあるが、親が子に「くりかえし/くりかえし/ちちははの思い出を語る」ように。
それは子どもにとって自分という存在が決して突然出現したものではないことを教えてくれる。自分が親、さらにその上の親と連なっていることを教えてくれるからだ。
ときにはそれによって、自分という存在の《かけがえのなさ》を実感できるかもしれない(^_^)。
○ 語るべき親は我が子に語るべき 祖父母と親を我が子の生まれを
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:九州北部では6月カラ梅雨の後7月初めの集中豪雨、梅雨明け後は一転して体温並みの猛暑・酷暑です。関東ではさらに地震に台風とさんざんですね。そういうときは無理せず休みましょう(^.^)。地震国、台風国の日本は「地震休暇・台風休暇」を作ってもいいと思うのですが?
とまれ、台風一過後も猛暑のようです。スパイスのきいた料理で、この夏を乗り切ってください。というわけで、8月はこのメルマガも休暇にしたいと思います。また9月から発行しますので、よろしくお願いします(^_^)。(御影祐)
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