○ 夏の夜(よる)浜べにずらりと博多っ子キー紛失で人情知った



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 6月23日 第21号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

21 夏の夜(よる)浜べにずらりと博多っ子キー紛失で人情知った

(^O^)ゆとりある人のための5分エッセー(^O^)  

砂浜キー紛失事件

 以下の出来事は昨年の夏、私の姪に起こった実話です。ちょいと感動もののお話しだったし、最近の私のテーマでもある「目的を果たせなくとも他に良いことが起こっている」に関連しているので、紹介したいと思います。

 姪は親元を離れ、福岡県の博多に一人で住んでいます。まだ二十歳過ぎですが、かなり派手派手の娘で、車はなんと大型ベンツ(・o・)もちろん中古)に乗っています。働いてはいるのですが、遊びたい盛りで友人と遊びまくっているようです。

 昨年の夏、彼女は女友達数人と志賀の島(しかのしま)へ遊びに行った。もちろん彼女のベンツで。
 ところが、いざ帰ろうとしたら、砂浜にベンツのキーを落としてしまったことに気づく。さあ大変、中古のベンツには合い鍵がついていなかった。しかも彼女自身も作っていなかった。だから、友人達と砂浜をあさってキーを探し始めた。しかし、なかなか見つからない。
 そのうち浜辺に来ていた人たちがキー捜しを手伝い始めた。最初は十数人だったけれど、だんだん数が増えていった。それでもキーは見つからない。同時に日が暮れて夜になってしまった。
 仕方なく姪はあきらめて実家の母親に連絡した。車の鍵穴からキーの型を取って合い鍵を作ってくれる業者を捜してもらったのだ。しかし、(母親によると)ベンツのキーづくりはとても高くて10万近くかかるらしい。姪はがっくし。そんなに高いなら本気で探すしかないと、また友人総出でキーの捜索を再開した。
 夜が更けてくるとまた一段と手伝ってくれる人が増えた。しかも、暗い浜辺に車を乗り入れ、ライトをつけてくれる人、さらには捜索者(?)全員を一列に並ばせ、「じゃー今から歩いてさがしまーす」と指図する、博多俄(はかたにわか)ならぬ(^_^;)――にわかリーダーまで現れたという。最も多いときには「100人くらいいたと思う」と姪は語っていた。

 私は志賀島の浜辺に、ずらりと並んだ博多の人たち(夜の浜だから若者が多かっただろう)を想像した。そして、博多っ子の人情に感心した。彼らはおそらく汗だくになり、目を皿のようにしてキーを探し回ったのだろう。姪もこんなにたくさんの人が手伝ってくれるなんて、と大感激だったそうだ(^o^)。
 そして、普通ならキーは出てこないことが多い。ところが、さんざん探し回って見つからなかったキーが、最後の最後で出てきた、というのも劇的で面白い。

 姪は一晩中探し回ったあげく、これほど探してないならとあきらめることにした。そして、夜もしらじらと明け始めるころ、手伝ったくれた人たちにお礼を言って、彼女は海を眺めながら浜辺のとある場所に座った。そのとき(姪によると)手を置いたすぐ近くの砂浜に、何かしら感ずるものがあったという。そこで、あわててそこを掘り始めた。そうしたら、正にベンツのキーが出てきた!(・o・) 
 姪は「あったー!」と叫んで、キーを高々とかざした。そして、みんなして抱き合って大喜びした(^O^)――という話を、姪は感激の面持ちで語っていた。

 姪は「青春だったなあ」とまとめていたが、私もそう思います。
 と同時に、私お得意の知恵で眺めるなら、姪の行為はキーを探すことが目的でありながら、それで得たものはそれ以上のものだった――ことがわかります。そのときの彼女に必要なものは、彼女のために百人もの見ず知らずの人が手伝ってくれた、そのことにあるのでしょう。もし自分が家族や人から愛されていないのではないか、と感じていたとしても、見ず知らずの人が100人も手助けしてくれたら、きっと人から愛されていると信じられるでしょう。
 それがこのキー紛失事件の十であって、最後にキーが発見されたことは追加の喜びでしかないってことです。いや、もし神さんがいるとするなら、百人の好意と善行に報いる結果を、ちょいとプレゼントしてくれたのかな――と私は思います(^_^)。


○ 目的を果たせなくては無駄無意味? いえいえそこで得るものがある

○ 人がみな助けてくれると知ったとき初めて愛が信じられる


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:人を手助けする大切さより、人から助けられることの方が先のような気がします。あるタイプの親はわが子に「なんでも自力でやれ」とよく言います。その前にまず、《人から助けられる生き方》を教えた方がいいのではないでしょうか。そうすれば、その後に人を助ける気持ちが芽生え、人に害を与える気持ちはなくなっていくのかなと思います。女友達を殺害した小六女児は、トラブルになったとき、誰も助けてくれないさみしさを抱えこんだのかもしれません。(御影)



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