○ 子どもには愛されないと思わせる ワクチン打って抵抗力を
ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」 2024年06月12日(水)第68号
『続狂短歌人生論』68 どんでん返しの《感情》その1
前号つぶやいてほしいところが二ヶ所ありました。
一つは以下。
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ところが、小中高の児童・生徒に対しては政府も多くの親も「学校の勉強(宿題、予習、復習、問題集、入試過去問)を家でもしなさい」と言って夜勉強させることに何の疑問も感じない。おやおや。
[ここで私は叫びたい。「道徳を教えるより前に《家に帰ったら学校の勉強はしなくていいよ》という制度にしなさい!」と。]
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この後半「制度にしなさい」と書いています。文の流れからは「子どもに《帰宅後学校の勉強はしなくていいよ》と言いたい」とか「親はそう言うべきだと思う」となっていい。なぜ「制度にしなさい」なのか。「作者なぜ?」をつぶやいきたいところです。
ぼーっと通読していると、「この人は帰宅後自由論者か」と思いかねない。が、私は親や大人に対して「子どもに夜家で勉強させることはやめましょう」と提言しているわけではありません。制度を変えるべきだ、と主張しているのです。
この件について考える際、まずこの理屈に反論できる人はいないと思います。
大人の労働は(先人たちの努力と闘争によって)一日8時間と決められた。帰宅しても同じ仕事をしなくていい世の中になった。子どもたちの勉強を「それがお前の仕事だ」と言うなら、夜勉強しなくていい――これは当然の(論理的)帰結である。
しかも、それを実地にやっている国(たとえばフランス)があり、中高一貫校や大学付属校は入試のための勉強をやらなくていい。普通の中学校でも校長や学校の考えで宿題を廃止したところもある。
……が、読者をはじめとして多くの大人はこの提言と事実をすんなり受け入れない。「でも」と言ってあることを主張する。
理屈の反対は感情だとこれまで書いてきました。もう一つ、理屈を《理想》と言い換えると、反対には「現実」があります。「でも」と言って反論するのは「日本の現実は」と続く言葉です。
日本の多くの小中高は「夜家で勉強しないと授業についていけない。特に入試に対応できない」という現実があります。帰宅後自由にやりたいことだけやっていいのに、入試のためには塾に通う。勉強は入試合格のための苦行になっているわけです。 「確かにそうだ。だが、それを乗り越えなければ、希望校への合格はない」と思う。だから、多くの大人は夜家で子どもに「勉強しろ」と言う……。
かくして(筆者の私としては)「制度を変えなさい」と言うしかありません。
私には子どもも孫もいないけれど、もしいれば、この理屈(理想)を語った後で、
「残念だが、今の教育制度のままでは夜勉強しなければならないね」と言うでしょう(^_^;)。
高校入試をなくすだけで、入試のための勉強がなくなる。学校の先生はずっと「カリキュラムの内容が多すぎる」と訴えている。授業に一読法を導入するだけで予習は必要ない。復習はした方がよいけれど、全体で30分くらい。
――このようなことを『一読法を学べ』提言編45〜57「新しい教育システムの構築」で語っています。
もう一つつぶやいてほしかったところがあります。
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しかし、自分が生きるためには人を犠牲にして構わないと考える、あの『羅生門』の下人のような犯罪予備軍、あるいは、ある《感情》に負けて人を殺したり傷つける予備軍なら、10人に一人くらいはいるかもしれない。[1億人のうち何人かは計算してください]
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ここ「ある《感情》」のところで、「おやっ、ある感情って何だ?」とつぶやいたか。そして、考えたか。一読法ならつぶやきます。
この感情を穴埋め問題にするなら、「○されたいという感情であり、○されないとわかって沸き起こる恨みとか憎しみの感情」です。〇は漢字一文字。
これもまた『続編』にて一貫して語ってきました。ストーカーって「以前は〇してくれたじゃないか。どうしてもう〇してくれないんだ」と心の中で叫んでいる人です。
今号よりこのような「どんでん返しの感情」について語ります。(本文は「である」体)
(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 子どもには愛されないと思わせる ワクチン打って抵抗力を
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その1「愛されないというワクチン」
以前「子どもに愛エネルギーを与えよう」と書いた。子どもに対して「すごいじゃないか」と誉めること、「がんばれ」と励ますこと、「よくやったね」とねぎらうこと。これによって子どもはエネルギーがふつふつと湧いてくる。元気になる。
そもそも大人だって周囲の人から誉められ、認められ、尊敬されれば、「よーしがんばるぞお」とエネルギーが湧くのを覚えるはず。
これをひっくり返すとどうなるか。
子どもに愛エネルギーを与えないことも必要――となる。
愛されたい、認められたい、誉められたいと思う。
だが、認められないことがある。誉められないこともある。そして、愛されないことは大いにある。それが世の中。それが社会であり、大人の世界なら、子どもにはワクチンが必要だ。
子どもに抵抗力・免疫力をつけるためのワクチン。それが意識的に愛エネルギーを与えないこと。
子どもが「見て見て」とせがむ。「誉めて誉めて」とねだる。
そのとき子どもは親の都合や状態を見て遠慮しようなどと思わない(最初は)。
その都度子どもを見てあげて、誉めてあげて、愛しているよと言うのは正直疲れる。
だから子どもに言っていい。「今日は疲れているから相手ができない」と。
あるいは、「今日はやることがあるから一人で遊びなさい」とか「今夜は本を読んでね」と言っていい(と私は思う)。
これは一人っ子、もしくは次の子が産まれるまでの話。子どもが二人以上になると、子どもは彼らだけで遊んでくれる。その間親は自分の家事や自由な時間を持てる。
もっとも二人以上になると、今度は子ども同士のけんかが発生するので、その仲裁に時間をとられる(^.^)。
もう一つ。愛は与えすぎると空気になる。空気がないと我々は生きていけない。
だが、普段の生活で空気のありがたみを感じることはまずない。
最近一部の親御さんは小学校の先生に「うちの子は誉められて伸びるタイプだから、毎日何か誉めてください」と言う(人がいる)そうだ。
おそらく受容者タイプの母親か、子どもが一人の親御さんだろう。
彼女は毎日「いい子、いい子」と誉めているのだろう。だが、過度の愛エネルギーはそのうち空気になって子どもはありがたみを感じなくなる。そもそも人は毎日毎日誉められるような生き方をしていない。
そのような無茶な要望を言われたら、先生は次のように反問すればいい。
「それじゃあお聞きしたいのですが、あなたに子どもが20人いたら、あなたは一人一人を毎日誉めることができますか」と。
20人とはアメリカの話で、日本ではかつて45人、次いで40人。今になって(これだけ子どもが減って)も35人である。
文部官僚・政治家は教員の働き方改革云々を議論する前に、まず1クラスの子どもを20人にするべきだ。
そうすれば、先生方はもっと子どもの現状を見ることができるだろうし、煩瑣な事務手続きに割かれる時間も減らせると思う。
閑話休題。
だが、「今日は疲れている」とか「仕事が忙しい」などと言って子どもの相手をすることを毎度毎度拒否していればどうだろう。子どもは「自分の親はなんて冷たいんだ」と思って親の愛を疑う。
だから、最低でも2回に1回は相手をするべきだし、そのときは真正面から子どもと付き合うべきだ。これが大切。
この「真剣に子どもの相手をする」こと。これがまた多くの親――特に傍観者タイプ――が苦手としている。子どもに対して本気にならねばならない。
たとえば、うわの空で新聞読んだり、スマホの画面を見ながら「ふーん」と言って子どもが語る言葉を聞く。これでは我が子に愛エネルギーを与える態度と言えない。
こんなことでは子どもの心のコップに愛という水はたまらない。そして、子どもは「この親は自分に関心がない」と見抜く。子どもは「見て見て・誉めて」という気持ちを心の奥に閉じ込め、人の愛を疑う傍観者となる。おやおや。
というわけで、冒頭の狂短歌が生まれた。
〇 子どもには愛されないと思わせる ワクチン打って抵抗力を
ここで終わらせようと思ったけれど、以下は「屋上屋」となるかもしれない解説。
まさか前置きの「〇されないという感情」の穴埋めがわからなかった人はいないと思うけれど、「これで正解かなあ」と自信を持てない人のために(^.^)。
なぜ子供に「愛されないこともある」というワクチンが必要なのか。
理由は我々が脅迫者のストーカー、パワハラ、セクハラの――だいたい男どもと交流せざるを得ないからだ。
前置きのストーカのところ。〇にはもちろん「愛」が入る。
ある《感情》に負けて人を殺したり傷つける予備軍なら、10人に一人くらいはいるかもしれない。その感情とは「愛されたいという感情であり、愛されないとわかって沸き起こる恨みとか憎しみの感情」である。
ストーカーとは「以前は愛してくれたじゃないか。どうしてもう愛してくれないんだ」と心の中で叫んでいる人のこと。
もう愛されない、愛してくれないことを受け入れられない人がストーカーになる。尊敬されていないと感じた人がパワハラをふるう。もっと愛してほしくて、親しさを表わそうとしてセクハラを働く。
残念ながらこの手の「愛されていない、尊敬されていない」と薄々感じる人たちはこの世に存在する。我々は彼らと否応なく付き合っていかねばならない。
幼い頃に親や大人から愛されないと感じるワクチンを打ってもらうことも必要ではないだろうか。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:今号本文が「四タイプ統合の人格」を説明していることに気づきましたか。
第62号の狂短歌――。
○ 統合とは 強く厳しく突き放し 甘えを許し受け入れること
親(大人)が子どもに対して愛エネルギーを与えることが「甘えを許し受け入れること」なら、時には敢えて愛エネルギーを与えない。これが「強く厳しく突き放し」にあたります。
ちょっとオーバーな比喩で言うと、当然あるべき空気がなくあっぷあっぷしている。空気のありがたみを強く感じるということもできます。そして、これが「演技である」こともおわかりでしょう。
そこで次号へのクイズ的質問。
世の中で子どもに対して最も「統合の人格」を演技している人たちがいます。
その職業とは?
一読法で読んでいれば、すぐにわかったはず。
「見当もつかない」人はもう一度読み直してください。
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